人権小史

国際連合(1945年)

1945年4月、50ヵ国がサンフランシスコで会合を開き、平和を保護・推進するために、国際連合を形成しました。
1939年から始まった第二次世界大戦は1945年に入ってようやく終戦へと近付いてきましたが、ヨーロッパとアジアの主要都市は軒並み戦火にさらされ、廃墟と化していました。無数の人々が亡くなり、家を失い、飢えに苦しんでいました。ロシア軍は空襲でほぼ壊滅したドイツの首都ベルリンを包囲し、占領を目前にしていました。太平洋戦線では、アメリカ海軍が沖縄で頑強な日本軍と激しい戦闘を繰り広げていました。

1945年4月、50ヵ国の代表者が、将来への楽観的な希望を抱いてサンフランシスコで会合を開きました。この「国際機構に関する連合国会議」の目標は、平和を推進し、将来の戦争を防止するための国際機構を設立することでした。この機構の理想は、この会議で採択された「国連憲章」の前文の中で表明されています。「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救うことを決意した。」

この新しい国際連合の憲章は、1945年10月24日に実施されました。毎年、この日を記念して「国連の日」を祝います。

世界人権宣言(1948年)

世界人権宣言に基づいて、世界中で数多くの人権法や条約が作成されました。
1948年、新たに設立された国連の人権委員会が世界の注目を集めていました。その委員長は、合衆国元大統領フランクリン・ルーズベルトの未亡人、エレノア・ルーズベルトでした。エレノアは有名な人権擁護者であり、合衆国の国連代表でした。エレノアの強力なリーダーシップの下で、同委員会は「世界人権宣言」となった文書の起草に取り掛かりました。この宣言の発案者として知られるエレノアは、同宣言を「全人類のための国際的なマグナ・カルタ(大憲章)」と呼びました。世界人権宣言は、1948年12月10日、国際連合によって採択されました。

この宣言は、前文と第1条において、すべての人間に生まれながらに備わっている権利を明確に示しています。「人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が享受され、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言され…すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」

国際連合の加盟国は、史上初めてひとつの文書としてまとめられ、成文化された人権の30条項を推進するために協力することを誓約しました。その結果、これらの権利の多くは、現在さまざまな形で民主主義国家の憲法に盛り込まれています。